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福良 雀


Fukura Suzume
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山を駆け回る人
趣味につっ走るblog
/RCサクセションと大島弓子からの考察(笑)2

 
HEART ACE(ハートのエース) HEART ACE(ハートのエース)
(初回発売1985/11/21)
RCサクセション

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さて、趣味につっ走るblog/
RCサクセションと大島弓子からの考察シリーズもいよいよ最終回となりました。
自分で言うのもなんですが、今回はかなり、こじつけ…。
ただただ好きなものを語りたいという下心のままに、
なんとか文章にしてみました(笑)

今回は山を駆け回る人について考えてみたいと思います。
よく山を駆け回る、というフレーズを聞きますが(えっ、聞かない?おかしいなー)、
それって結構大変なんじゃないかと思うんです。
どんな低山だって、山を登る時には、それなりの準備と装備、
時には覚悟なんかも必要になります。
勾配のある未舗装の道を、登ったり下ったりするには、テンポやリズム、
呼吸法なんかも少しは学んで行った方がいいでしょう。

むやみやたらに駆け回ったりしたら、すぐに疲れて足が重くなり、5分も持ちません。
それに走っているうちに道が分からなくなり、迷ってしまうかもしれない。
迷うということは、山の中では命取りです。

私にとって山を駆け回るのは、クロカンびと以外では現実味がなく、
動物や精霊の類い、お伽噺の中の話です。

RCサクセションの13枚目のアルバム『ハートのエース』の中に
「やまのふもとで犬と暮らしている」といういう歌があります。
タイトル通り、山のふもとで犬と暮らしている青年が、
寒い日にストーブのそばで一日中、本を読んでいる、
という歌なんですが(いや、それだけではないんですが w)、
どうやら、この青年、ひとりぼっちらしく、突然「ひとりぼっちワンワンワンっ!」
と叫んだりします。
そして、ついには「心配事は〜何も無い〜おまえ(愛犬のことでしょうか)にだけは〜」
と呪文のように繰り返すのです。
それを聞いてると、「ああ、心配事がてんこ盛りなんだな」と思えてきます。

そんな青年が、今日は寒いけど、明日はきっと山の中にも日が差し、
温かくなるに違いないと踏んで、
「明日は山の中、駆け回るんだ〜」と歌います。
孤独で心配事がてんこ盛りの青年が光の中で軽やかに犬と山を駆け回るイメージ、
ここで歌は終わります。
私はこの最後のフレーズが大好きで、山どころか、
時空をも駆け回るような気分になります。

そして、大島弓子の『ダリアの帯』。
妻、黄菜の流産をきっかけに、山の中で暮らすようになる夫婦の物語。
黄菜は心のバランスを少しずつ崩し、
サラリーマンだった夫、一郎は、幻視、幻聴、独り言が増えていく黄菜の傍らで、
いつ山を下りようかと煩悶しつつも、山の生活に追われ、
そして、山で死んでいきます。

気流になった一郎が見たものは、有形無形森羅万象と語らう黄菜の姿。
幻視、幻聴、独り言と見えていたものは、草や木、風、
生まれなかった子どもと語らう姿でした。
黄菜は、種をまき、刈りとり、野を駆け、山を走り、水をわたります。
歳をとらず、彼女の着ているリネンは、いつまでも白いままです。

黄菜は精霊になったのでしょうか。
この身体や目でしか見えないものから解き放たれる開放感。
大好きなのです。心と身体がとても軽くなります。

んで、結論。「山を駆け回る人」のイメージは、
日々をびびりながら、地を這って(笑)なんとかかんとか生き延びてる私にとって、
解放の象徴!もしかしたら希望かも?と思う今日この頃です。
(結論、短かっ。)
 
|17:15| 趣味 | comments(0) | - | posted by
道端で泣く子ども
趣味につっ走るblog
/RCサクセションと大島弓子からの考察(笑)1


夏の夜の獏

2014年の桜が散って、blogがみごとに滞ってしまいました。
確か2013年の秋から2014年の春までにあったことを、
過去を遡って書きます、みたいなことを、私、言ってましたっけ?

…忘れて下さい。

今はもう2014年の秋。
去年の秋のことなんて書いてたら、
ややこしくてしょうがない。
だから書かないことにしました。

…えっ?言い訳?嘘つき?!……(∩゚д゚)アーアーアー聞こえなーい。

さて、趣味につっ走るblogが始まりました。
考察(笑)1となってますが、たぶん考察(笑)2で終わります。
ネタが二つしかないんです。無い袖は振れません。

突然ですが、あなたには『子ども時代』がありましたか?
私は『子ども時代』を思いっきり満喫出来たと言える人が、
ちょっと羨ましい。
私に、子ども時代が無かった訳ではないのですが、
それは、少しばかり早く終わったような気がします。
子ども時代が終わったということは、
めでたく大人になれた、ということではなく、
ただ単に『子ども時代』から放り出されたということ。
そこからは、ますます頼りない”子ども”が生まれるだけです。
そして、一生かけて、欠落した時代を埋める作業をする。
それが、いいか悪いかは、また別の話。
でも、少し損をした気になってしまいます。

大島弓子の漫画に『夏の夜の獏』という短編があります。
8歳にして、精神が異常発達をとげ、成人してしまった少年のお話。

物語は、この少年の心象風景によって進んでいきます。
登場人物は実年齢ではなく、精神年齢の姿で登場します。
主人公の少年は成人男性の姿で描かれ、親は幼児の姿となります。
ちょっと奇抜なお話に思えますが、
この作品で描かれているのは、
大人の身勝手さによって子ども時代を奪われ、
大人に成らざるを得なかった少年の姿です。

少年の両親はW不倫中。介護中の老人の死を待って離婚し、
それぞれの不倫相手と再婚する手はずになっています。
少年の兄は、そんな親達に嫌気がさして、家を出ています。
少年は、なんとか家族の崩壊を食い止めようと、四方に気を使い、奔走する。
しかし、努力も虚しく、家族はばらばらになってしまうのです。
最後は、ずっと成人男性の姿で描かれてきた少年が8歳の子どもの姿に戻ります。
そして、道端をおーいおーいと泣きながら歩いて行くのです。

道端を号泣しながら歩くなんて、子ども時代の特権ですからね。
少年が、その特権を大いに活用する姿で物語は終わります。
少し、救われました。

私は、もう、おーいおーいと泣きながら、道を歩くことなんて許されません。
が、少し損をした気になってる自分に、自分だけは、
道端で泣くことを許してあげようと思う、
今日この頃です。

 人の目を気にして生きるなんて下らないことさ
 僕は道端で泣いてる子ども

(忌野清志郎&坂本龍一『い・け・な・い ルージュマジック』より)
 
|12:57| 趣味 | comments(0) | - | posted by
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