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福良 雀


Fukura Suzume
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『存在の重み』神谷美恵子 著
存在の重み 表紙 存在の重み 中

確か高校の課題図書だった気がします。
転居する度に、しっかと胸に、手放さない本達の中の一冊です。

今、頁を繰ると、
十代の私が引いた線や『』があちこちに有ります。
なんで、この言葉に線を引いたのだろう。
なんて考えて読み進めると、とても楽しい。
あの頃の私から、手紙をもらっているようです。

神谷美恵子氏は、精神科医としてハンセン病治療に関わり、
人の生き方について生涯をかけて考えた方。
憧れと尊敬とで、雲の上の存在、
雲の上の人過ぎて、影響を受けたなんていうのもはばかられる、
けれど、もの凄く優しく地上に降りて来てくれる人、
そんな感じがします。

この著書の内容はエッセイ集で、神谷氏のご両親と親交のあった新渡戸稲造氏についてや、
精神医学への導き手となった島崎敏樹との出会いなどが語られています。
新渡戸氏が述べた言葉に「Doing(行為業績)よりもBeing(人格形成)のほうが大切だ」
(神谷美恵子著 著作集6:「存在の重み」エッセイ集2 p18)
というものがあるそうです。
人として何を成したかよりも、そのあり様の方が大事だというのです。
当時の私は、その逆だと考えていたので、
自分の中で小さな革命が起きた思いがしました。

神谷氏は「先生が何も仰言らなくとも、先生がそこに存在するだけで、まわりにそいうもの、
いきいきしたもの、あたたかいものがあふれ出るような感じがいつもしたわけなのです。」
(神谷美恵子著 著作集6:「存在の重み」エッセイ集2 p16)
と、新渡戸稲造氏について語っています。

憧れましたね。そういう人になりたいなぁ、なんて大それたことを考えたりして。
若気の至りってやつですね。
今は、はっきり言えます。絶対無理っ!(笑)
でも、まあ頑張って生きていこうと思います。

話は変わり、先日5/10は母の日でしたね。
私がもう一冊持っている神谷氏の著書『こころの旅』に、
母と子の関係について書かれている一節に目が止まりました。
母と子の関係の最終形として、あくまで一つの理想として語られている一文です。

「下降をはじめた親の生活曲線と青年のそれはいわば交差して、やがて立場が逆転してくる。
ことに青年は母親に対して保護者のようにふるまいはじめるのが自然のなりゆきのようだ。
ここにゆとりとユーモアが介在すれば、母子はよき友として、
乳児期に始まった人格的な出会いを完成することができるかもしれない。」
(神谷美恵子著 著作集3:「こころの旅」 p115)

残念ながら、私は母が脳梗塞で倒れ、脳血管性認知症を患うまで、
上述のような関係は築けませんでした。
しかし、今また新たな母との関係性が生まれているような気がします。
将来の私への手紙として、この一文に線を引こうと思います。
|18:53| | comments(0) | - | posted by 福良 雀
Fukura Suzume
口づけするよ、ヨカナーン。/オーブリー・ビアズリー
サロメ表紙
パラフィン紙の岩波文庫(・∀・`)

サロメ
ワイルド作『サロメ』岩波文庫/目次扉

ヨカナーンとは、キリストに洗礼を授けたヨハネのこと。
タイトルは、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の一節。
ヨハネに魅入られたサロメが、その想いを拒絶されながらも叫ぶ台詞。
最後は父であるユダヤの王ヘロデに、「7枚のヴェールの踊り」を舞った褒美として
どうしても自分のものにならないヨハネの首を所望する。

サロメと言えば、ファム・ファタール、悪女のイメージだが、
それは、この戯曲の影響らしい。

モトネタは新約聖書。
ヨハネの首を求めたのはサロメの母であり、ヘロデ王の妻であるヘロディア。
彼女の前夫はヘロデ王の弟。
そのことをヨハネが批判したことで彼を恨み、
娘をつかって殺させた、ということらしい。
また、別の文献では、ヨハネの民衆への影響力を恐れたヘロデ王が殺したとも。

よって、サロメは無罪潔白なのだが、
「魅惑的な舞を踊る無垢な少女が、平然と聖人の首を求める。」
このモチーフは、19世紀末芸術にとって、非常に魅惑的なものだったのだろう。

絵画の世界では、ギュスターヴ・モローも多くのサロメ作品を残しているが、
私にとってのサロメは、もう、なんといってもオーブリー・ビアズリー。
1894年出版のオスカー・ワイルド『サロメ』英語版の挿絵を描いている。
何度観ても、その天才的な想像力と造形力に衝撃が走り、
自分の平凡さを嘆くことになる(笑)
まあ、当たり前か。
頑張ろうっと(´・∀・`)
|19:48| | comments(0) | - | posted by
Pippa's Song(ピパの歌)〜R・ブラウニング
ピッパが通る



タイトルは、イギリスのヴィクトリア朝を代表する詩人、
ロバート・ブラウニングの劇詩『Pippa Passes(ピパが通る)』の中の一節。

絹糸工場で働く少女ピパは、一年でたった一回の休日を迎える。

その喜びに満ち溢れた彼女が、町をそぞろ歩きながら歌うのが
Pippa's Song(ピパの歌)である。

「Pippa's Song」
The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn:
God's in His heaven--
All's right with the world!

日本では、上田敏の訳が有名だ。



「春の朝」(はるのあした)
時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

(上田敏訳詩集『海潮音』1905年10月刊所収)


私がこの詩を知ったのは、L・M・モンゴメリ「赤毛のアン」の中で。
養父の死により大学進学を断念せざるを得なくなったアンが、
物語の最後に呟くのだ。

…God's in His heaven--
All's right with the world!

神は天にあり、世はすべてよし

(村岡花子訳)

私は無宗教な人間だし、逆に神様がこの世をややこしくしている節もある、
などと考えている罰当たりだ。
だから、信仰心に根付いた、この詩の本当の意味は理解出来ていないのかもしれない。
でも、この詩が、特に上述の最後の二行が好きなのである。

神も仏も無いような世の中、一寸先は闇。
思い通りになることなんて、人生の中でいくつあるのだろう。
この先、大切な人と別れなきゃならないかも。
仕事を失うかも。事故に会うかも。
病気になるかもしれない。
今、地震が起きて死んでしまうかも。

でも、絶望にだけは殺されまい。
そう自分に誓う呪文だと思っている。

|19:09| | comments(0) | - | posted by
アライバル / ショーン・タン
The Arrival
   The Arrival (2007/10) Shaun Tan 商品詳細を見る

人はあらゆる国に生まれ、あらゆる環境下に置かれる。
本人が望むと望まないとに関わらず、そこは自分の世界の全てとなる。

どんな状況下でも、人は幸せの気配やかけらをめざとく見つけ、
宝箱に集めながら、大人になる。

幸せの宝箱を大切に大切に抱えながら、時々それを眺め、くすりと笑い、
また蓋を閉めて、人生というゲームに戻っていく。

たぶん人間はこの宝箱が無いと生きていけない。

それなのに、時々人間はその宝箱を奪われてしまう。

誰が奪うのか。

それは、色んな恐い顔をして現れる。共通している表情は不寛容さ。

一番恐いのは、戦争というモンスター。


この絵本で描かれているのは、いつの時代なのか。どこの国なのか。
懐かしい未来のような、未知なる過去のような。

そんな世界の中の宝箱、希望の物語。

見終えたあと、小さくて、みすぼらしいけれども、
自分だけの宝箱を手放したくないと、せつに思う。

丁寧に描かれたセピア色の絵が美しく、どこか映画のようで、
すっと世界に引き込まれる。
ところどころに散りばめられたユーモアに、ほっとさせられる。

原書と翻訳版があるけど、原書の古書風装丁印刷が素敵なのでオススメ。
(原書の方が安いし、文字が無いのでなんの支障も無い。
 が、翻訳版の方が大きめサイズなので、絵も若干大きい。)

文字がいっさい無いので、どの時代のどの国の人でも楽しめます。
|02:03| | comments(0) | - | posted by
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