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福良 雀


Fukura Suzume
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有元利夫 〜未完の完〜
私にとってのピエロ デラ フランチェスカ1
 有元利夫「私にとってのピエロ デラ フランチェスカ」より

有元利夫を知ったのは、いつだったか。
彼は1985年に肝臓がんにより、38歳の若さで亡くなっている。
知ったのは、その少し前、宮本輝氏の著作の装丁でだったと記憶する。
目にした人は多いだろう。

彼の絵を観たのは覚えている。衝撃的だったのだ。
亡くなった翌年に回顧展があり、姉と一緒に行った。

回顧展では、芸大買い取りになったという卒業制作、
「私にとってのピエロ デラ フランチェスカ」が展示されていた。
10点に及ぶ連作に、私は一気に魅了されてしまった。

その理由を言葉で表現するのは、なかなか難しい。
30年近くも前のことだし。
でも、その時のなんとも言えない感覚だけは覚えている。

「私にとってのピエロ デラ フランチェスカ」はとても不思議な連作で、
ストーリーがあるようで無い。
彼が敬愛するイタリアスネッサンス初期やフレスコ画の影響は感じられる。
しかし、ところどころ塗り残しのような箇所があったり、
描かれている人物の身体や事物が透けていたり。
手などは、殆ど描かれていない。
未完成なのではないか、という絵なのである。

ただ、観ているうちに、未完成だと思われる部分が、
完璧に思えてくる。
「これ以上はダメでしょう。」という絶妙なタイミングで
筆を止めていることに気づく。

未完成というか、欠落している美術品の魅力というものがある。
例えば、ミロのヴィーナスの腕が無いことが神秘性を高めるというようなこと。
アンバランスな危さは、意図的であるにせよ無いにせよ、
他者の介在を要求し、惹き付ける。

しかし、有元さんの作品は、それとも違う。
欠けた部分に他者を引っ張るのではなくて、
他者の欠落に呼応し、共有してくれる。
完全なものなど無い、この世の中で、
欠落を補うことを他者に強要しない。
描かない感受性、完全を避ける感覚に癒された。

どちらかというと観る者を突き放す。
全ての存在を有るものとして、そのまま受け入れる、
下手におもねったり、分かった振りをしない。
そして、最後に寄り添ってくれる。

たぶん、私が当時感じたものは、愛なんでしょう。大袈裟かな。

その後、有元さんの影響でピエロ デラ フランチェスカに興味を持ち、
数年後、イタリア、フィレンツェ郊外の町アレッツォやモンテアルキまで 
フランチェスカの絵を観にいくことになるのだが、その話はまた今度。

ただ、ピエロ デラ フランチェスカの絵を観て感じたことは、
当時の教会の壁画や祭壇画は、アートというよりも文盲の信者に対する
説明的な要素が多分にあったのだということ。
チマブーエやジョット、フランチェスカはそこにリアリズムという要素を入れ、
それが、人間讃歌のイタリアルネッサンスへと繋がっていく。
時代の間に生まれた、アートという顕示の無い絵の清々しさと素朴さ。
そして、その力強さと暖かさは、
欠落しつつ堂々と存在するのだという有元利夫の朗らかさに通ずるものがあった。
ああ、これが「有元利夫にとってのピエロ デラ フランチェスカ」なんだな。
と感じた。

回顧展の時、姉がしてくれた話を忘れることができない。
『こんな絵を描いてたら死んじゃうよ、と生前に言われてたんだよね。
そしたら本当に亡くなっちゃった。』
|18:35| アート | comments(0) | - | posted by
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